いとみみず宇宙とは何か?


山田鰆

山田鰆

Author:山田鰆
■2012.02.27
COOKIE SCENE
にて
「ぶらりなとがり」レビュー掲載

■2012.01.29
ネットレーベル“同窓会”にて
3rd音源
ぶらりなとがり
発表
■2011.09.11
ネットレーベル“同窓会”にて
2nd音源
さてんれっきす
発表
■2011.08.01
彼らは音楽をやっててインターネットがそこにあるってだけだよ
インタビュー掲載
■2011.05.01
M3-2011春
Ustream Checkerコンピレーションアルバム"We love ustream checker!"
「たはぺばてぷにぼ」
■2011.02.14
1st音源
はだかもぐらねずみ
発表
■2010.05.06-2011.04.22
場末町AP/音楽枠
「たかやまとしひろ」

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ミトコンドリアを観察するお仕事。
20110607.png
昨日から今日にかけて、とん・ぶり+鰆+みみずで飲んだりふらふら歩いたりしました。
まあ最初はみみずが入る予定は無かったんだけど、なんかふとこの二人掛け合わせたらどうなんだろ、と思って急きょお取り寄せ。一人くらい酒弱い人がいると面白いしね。

終始みみずが酔っぱらってて面白かったけれど、それに付随してとんちゃんの研究結果というか、音楽論とかがおもしろかった。音楽が嫌いな僕にもわかるように、感覚的な言葉を多用してくれたり、噛み砕いて説明してくれたので、音楽やってるやつは気取り屋説が適応されず、かつちょっと音楽の研究って面白いかも、と思いました。ロック派生の音楽家の話は熱がこもっていてあんま理解できないところがあるけれど、クラシック派生の音楽家ってのは穏やかで視野が広くて面白いね。だからこそ余計気取ってる人が多いんだけど。
ちなみにみみずの話は麻雀舐めプ^^って印象だったので、後でボコボコにしておこうと思います。

みみずが寝ていると自然ととんちゃんとタイマンでバトルすることになりますが、印象に残った話がふたつ。

まず最初は、僕の視野の話。とんちゃんは「本当にさわちゃんは顕微鏡だなぁ」と言っていた。
悪く言えば視野がとても狭いということ。良く言えばひとつの存在に対して深いという感じか。確かに、僕は一点に固執する傾向がある。それは、こだわる、という意味ではなく、1の中の0.1のことを考えがち、という意味ね。確か2,3回言われたけど、覚えてるのは道路のブロックの話をしたとき。自分の足元のレンガのような、東京のあの補整された道に敷き詰められているあれ、その中の一つをみて、こいつは何を思っているんだろう、みたいな話をしたときだったと思う。踏まれて何も思わないのか、とか、多数の中の一つに紛れ込まされてあがきたくならないのか、とか言ったか?あんま覚えてないけど。
顕微鏡人間の良いところは、僕分析によるとロマンティストっぽいというか、感覚人間っぽいところ。自己表現という分野に関しては、物語を作るのがうまそうな感じ。僕はできてないけど^q^。良い意味で目線が低いから、アンテナに引っかかればどんどん進めていけそう。
ただし弱点が多くて、カメラのレンズと同じように、拡大のしすぎはブレやすい。シャッター速度を上げないと写真がただの混沌とした風景になってしまうだけで、何も情報を拡散できていないということ。そして、偏見を抱きやすい。その0.1に対しての情報が個人の脳みそにしかないので、0.1の解釈が時に傲慢で、全体からみるとあからさまな異物として表現してしまうようなケがあるところ。
逆に非・顕微鏡人間は視野の広さによるバランス感覚が研ぎ澄まされているように思う。指揮者みたいな。弱点は根詰めが大変そうだな、と思う。全体を見ながらの作業ができるから、完成品として提出するとムラが少ない。ただ詰めたい部分と全体の印象がケンカして、少しずつ進まないといけないから、完成の精度を上げるために努力や論理を組み合わせていかないといけない。
ま、どう考えても顕微鏡人間じゃない方がいいッス。顕微鏡人間が分析が下手くそだから自分の感覚で発展させるっきゃねーしなー。

そして次が、音色と言葉が合致している曲がほぼ存在しないということ。
「ちょーまじやばい」っていう歌詞があったとしたら、ちょーまじやばそーな音色は奏でられていない。「明るい」だったら濁りの無い快音を弾けばいいし、「暗い」だったら地下の底を思わせるような和音を出せばいいけれど、「お腹すいた」だの「君が好き」だの「視線をそらす」といった歌詞も平気で同じ音色で奏でられる。
解散してからちょっとこれについて考えていたけれど、音楽の知識が乏しい僕なりの反論は、クラシック形式の表現方法でなければほぼ不可能なんじゃないか?だ。大衆が聴く音楽の構成としてAメロ→Bメロ→サビ→Aメロ…というものが浸透している以上、歌詞に応じて音の表現を変化させることはあまりにも難しいのではないか、と。「足の裏に画鋲が気になってオチオチ寝てられない(以下、足ない)」というテーマで曲をつくったとして、「足ない」の情景を今の形式で曲作りに挑むとどうしても背景を表現する言葉が必要になり、そして時たま「足ない」とは少し違う部分から言葉を拝借すれば、もう音色と歌詞の合致が成立しなくなってしまう。
歌詞を用いる曲で聴き流せられるようなものを作るためには、ピアノ曲のような構成では形としてできたとしても、他の人が軽やかに聴き流せるか、と言われたら、頷くことはできないと思う。
そして何よりこの話を持ち出したのがとん・ぶりだ、ということに疑問を抱かざるを得ない。本人のブログで言っていたが、彼にとって歌詞はあまり意味をもたない。そんな彼がこの研究を進めたところで結論がでるのか。
…いや、とんちゃん変態だしな。できるかもな。できるわ。破綻ドビーーー。

波長が合うのか、合わせてくれているのか、どちらかと言えば後者だろう。
僕の荷物を自分が持っていないものとして評価してくれているのか、自分も持っているけれど隠してくれているのか、どちらかと言えば後者だろう。
みみずもとんちゃんも、個人的には僕の対角にいるので、そしてこっちの浅さを理解してくれているので、話すのが面白すぎた。とんちゃんに至っては半日くらい話してたしなぁ。音楽が好きになれそう。キャー!フー!
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