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いとみみず宇宙とは何か?


山田鰆

山田鰆

Author:山田鰆
■2012.02.27
COOKIE SCENE
にて
「ぶらりなとがり」レビュー掲載

■2012.01.29
ネットレーベル“同窓会”にて
3rd音源
ぶらりなとがり
発表
■2011.09.11
ネットレーベル“同窓会”にて
2nd音源
さてんれっきす
発表
■2011.08.01
彼らは音楽をやっててインターネットがそこにあるってだけだよ
インタビュー掲載
■2011.05.01
M3-2011春
Ustream Checkerコンピレーションアルバム"We love ustream checker!"
「たはぺばてぷにぼ」
■2011.02.14
1st音源
はだかもぐらねずみ
発表
■2010.05.06-2011.04.22
場末町AP/音楽枠
「たかやまとしひろ」

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残される 残す 忘れる 忘れられる
Picture 1038
「僕の初恋を君に捧ぐ」という漫画を読んだ。結果から言うと泣いたけれど、結論から言うと良かったねお幸せに、という感想。ちょっと皮肉っぽく言っている様子を想像していただきたい。

人の命を題材にする作品が溢れているけれど、僕は「最終兵器彼女」くらいの素晴らしさでないと納得できない。人を殺して感動を誘うのはあまりにも簡単な作業だ。創作の域に達しているとは評しがたいと、あくまで個人的にだけれど、そう思っている。「僕の初恋を君に捧ぐ」は、手軽に泣ける漫画みたいな感じ。そういう意味では素晴らしいと思うけれど、結末がもうちょい残酷だったら良かったなとも思う。
こういう話に触れると、死について考えてしまうのが人間なんですよね、あっはっは。

浪人しているとき。今でも覚えている。4月23日、午前7時15分。富山の実家から連絡があった。叔父が死んだ。至急帰ってこい、と。
僕は叔父が大好きだった。いつも僕を変な呼び方で呼んで、からかってくれる叔父が本当に大好きだった。だから、これはあれか、ドッキリかなんかで、帰ったらうっそピョーン!と母が迎えてくれるに違いない、と呪いのように唱えながら帰宅した。父親が絶望的な顔で僕を迎えて、ああ、本当に死んだんだ、と受け止めた。叔父は以前から肝臓を患っており、透析や薬で命を繋いでいた。
富山に着くと、叔母さんがずっと泣きながら同じことを何度も言って聞かせてくれた。ニトロまであと1歩のところで倒れ、そのまますぐ亡くなった、あと1歩だった、彼が布団から起きたあの時に一緒に行っていれば助かったかもしれない。私がついて行っていれば、私が…。
遺影の叔父は、父とそっくりの目元で笑い、白髪交じりで、真っ白い顔をしていた。
白い布を顔にかけた叔父は、目をつぶり、眠っているようだった。頬に触れたとき、とても冷たくて、自分の体温がとても憎かった。

死ぬ人間というのは、死ぬ前に何かしら行動をする、というのはよく聞く話だ。
叔父は亡くなる日、自分は病気のせいで飲めないのに、高めの日本酒を買ってきた。そして、「あき(うちの父のこと)が来る頃だから、あきが来るまであけないでくれ」と言った。夏になるば1週間ほど富山に帰省するが、春に帰省したことは無かったのに、そう言った。そして死んだ。

深夜、みんなが寝た頃、父と兄が寝ている部屋で扉を開ける音がして、誰かが出て行った気配があったのだが、一向に帰ってこないので、眠れないし散歩ついでに、母と姉を起こさないよう、部屋を出た。1階に降りると、父が仏壇の前で、叔父が買ってきた日本酒を飲みながら、何度も「アニキ…」と呟きながら泣いていた。
僕はどう声をかけていいかわからず、父の隣に静かに座ることしかできなかった。まだ未成年だったが、父に言われ、同じ日本酒を少しだけ飲んだ。父はずっと、叔父の昔話をしてくれた。日本酒は時間が経てば経つほどしょっぱくなっていって、おいしいはずなのに不味くて仕方なかった。

自殺のニュースをメディアが取り上げると、キャスターたちは深刻そうな顔で“残された側の気持ち”を主張する。だけどそれは正解ではないのではないかと思う。“残す側の気持ち”だって汲まれるべきだ。辛くて死ぬのに、自分のことでいっぱいいっぱいなのに、そこまで追い詰められているのに、そこからなぜまた周りのことを考えなければいけないのか。
僕たちは小さいころから“死なれる準備”をさせられている。命の尊さを学ぶという名目で。死について考えさせるとは、そういうことだ。もしこういう風にあなたの友達が死んでしまったら?あなたの家族が、あなたの恋人が、と。そして僕らを残した人間からその負の要素が連鎖していかないよう、記憶は忘れるようにできている。忘れることのない思い出は、美化されたり修復されたりして、形をかえて、生きている。ずっと前の先祖のことなど知らないのは、結局“残された側の気持ち”は風化していくからだ。

どんな死の形であれ、残す側の辛さは計り知れない。故人は口を開かないので聞くことはできないが、ニトロに手が届かず苦しんで死んだ叔父がそれまでずっと生き続けたのは、周りに考えるべき大将が溢れていたからだろう。でも、死んだしまった。仮に天国があるとしたら、いまだに後悔ばかりして落ち込んでいるだろう。
でも、生きている人間は強い。残された時の気持ちを乗り越えて生きていく。生きる義務なんて本当はどこにもないのに、それでも強く強く生きていく。
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Comments

自殺、他殺、事故、病気、色々あるけどそこに誰かの気持ちや意思をのせるのは別の話じゃないかなぁ。残されたことについてどうだとかは残された奴の問題で、残したことがどうだとかは残した側の問題で、それぞれ他人のせいにせず自分の事は自分で片をつけるべきだと思いマスカット。生きる死ぬってのはそれぞれ自身が責任持つことだと思うんだなー。しがらみがあろうがなかろうがね。完全に個人的見解でしかないですけれど。
コメントありがとうございます。
確かにそうだ、うーん、別問題。別問題。別問題。
だけど、なんだろう、自分が死んだ時に、周りに何もない殺風景な場所にいたくない、というか。
なんでも切り離して考えたくない、というか。
現代社会に屈したくないというか。
え、意味わかんない。すいませんでした。
あー、なんだか似たような感覚を持ってるのかもしれないと思ったですわ。
でも屈しないで生きるのは辛いよね。
っていうか屈するというか自分が不適合なんじゃないかって思ったり。
それでも
自分の「生きる」を信じたいんですよねー。
まぁ私の場合ですけど。
そういう意味では私も今どっちに曲がるか悩んでるわ。
疑問を殺して生きていくか。
疑問と問答して死んでいくか。
疑問を解決して生きる道はあるか。

なんちゃって
そうですねぇ、基準があまりにも多く設けられている現状だと自分が屈する=不適合っていうのが成り立ってしまう気がします。個人差なんでありまくりだから仕方のないことなのに、おっかしーの。
疑問はとりあえず最初は問答して、解決できなくてどうでもよくなって放ってしまいますけど、僕は、てへ。
考えるのメンドクセー!

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